先日の大太鼓祭りに関連して、綴子神社自体のザクっとした紹介をしていきます。歴史を紐解いていくと、とても由緒あるスポットが身近にあったことを思い知ることができます。
以前他で書いていた記事のリライトになるので、写真は冬景色です。
神社の由緒
設立を辿ると、西暦659年まで遡る、非常に永い歴史ある神社です。朝廷の命を受け、蝦夷地の討伐に出た阿部比羅夫が、肉入籠(読み方;ししりこ。綴子(つづれこ)の語源かなと思います)の地に入った時に、地主神を祭ったのが大本になります。
東北地方最古の八幡宮ともいわれ、昭和43年に周辺地域の無社格15社を合併し、現在の形になりました。恐らくこの時にウチの実家の集落の神社も合併になったと思われます。
主祭神・ご利益
主催神は八幡山大神 様です。
一般的には、五穀豊穣・武運長久としての御利益がありますが、綴子神社はその歴史から、特に必勝の神様という側面が強いそうです。受験生だったり、部活の大事な試合前にお参りするのが良さそうですね。
他にも、天照大御神、伊邪那美、伊邪那岐をはじめ16柱、主祭神合計17柱もの神様が祀られております。北秋田市でも有数のパワースポットと言えそうです。
見どころ満載
境内には歴史を感じさせるランドマークが多数あります。
千年桂/般若院佛母孔雀明王経訂正本出版記念碑
創建当時からあった木と伝えられているそうです。となると最早1000年どころではないのか。現在は大桂神社が祀られ、縁結び・子宝・安産祈願の御利益があります。旧鷹巣町指定の天然記念物です。
そして、その大桂の樹の根元にあるのが、般若院佛母孔雀明王経訂正本出版記念碑です。般若院佛母孔雀明王経とは、平安時代初期の修験道の開祖とされる役小角が最も神聖視した経典になります。
それを般若院玉峯英泉(1714年・綴子神宮司家第14代烈光の3弟として出生)が、長年の遊学の末に、当時世の中で一般的になっていた訓詁を正し、京都にて出版されました。秋田最初の刊行物とされ、出版費用は現在の物価に直すと1千万円にもなります。それが秋田市~秋田県北部の住人の寄付によって賄われたそうです。その出版を記念して建てられた碑が現在もそのままに残っています。
因みに、後に菅江真澄が綴子に立ち寄った際には、この英泉の功績を絶賛されていたというお話も伝えられています。
内館文庫跡
綴子神社近くには、綴子小学校発祥の地である宝勝寺があります。明治7年に小学校が設立されるまで、地域の教育を担った私塾に関わる、建物・器具・文書を保管した史跡です。蔵書は850種・1500巻余りにも及び、神道・仏教・修験道・国学・医学など非常に幅広い分野のものが保管されています。
上で触れた英泉の著書や、写本草稿なども此方の文庫に保管されています。いつかお目にかかることもあるのでしょうか。
江戸時代に公的な藩校がなかった秋田県では、このようにまとまった江戸時代の庶民教育施設が残っているのは貴重なようです。
歴史を刻む石碑
こちらは地域神社のために貢献された高橋宇吉郎様と、旧・綴子村開拓に尽力された奈良田喜左衛門様の記念碑です。後者は、当時この辺りを支配していた戦国豪族であった比内浅利氏とも関りがあったようですね。
大太鼓のお祭りの神社です
北秋田市鷹巣と言えば、ギネスブックにも載った”世界一の大太鼓の里”として名を馳せていますが、実は元々は綴子神社の例大祭で、大太鼓を奉納するのが元になっています。
先日、宵宮に行った時の様子はコチラからご覧ください。来年はお昼の本祭に行きたいですね。
普段は道の駅・たかのすに併設している大太鼓の館に展示されていますが、お祭り・行事がある時には、演奏も行われています。
まとめ
と言ったように、いくつか見どころをピックアップしただけでも、由緒ある見所が盛りだくさんのスポットと言うことが分かります。神仏・歴史が好きで深堀りできる方にとっては垂涎の的ではないでしょうか。
普段、近くに住んでいても中々ここまで由縁を辿ったりする機会はありませんが、改めて地元の歴史を知る面白さと言うのを実感したような気がします。
実は向かいの宝勝寺とも縁ができて立ち入る機会ができたのですが、こちらも色々紹介できそうでした。
アクセス・位置情報など
●住所;
〒018-3301 秋田県北秋田市綴子西館46
●電話番号;
0186-62-0471
●ウェブサイト;
*ブログもあり、宮司さんのお仕事についても知ることができます。
コメント
コメント一覧 (1件)
[…] 由緒は火災によって消失してしまいましたが、綴子村の肝煎(世話役とか代表者)だった高橋家が開基と推測されています。綴子神社に建っている石碑の高橋家とも無縁ではないと思いますが、いかがなものでしょうか。 […]